

2006年 初夏のある日。
「芥川龍之介の『トロッコ』を映画にしたい」、「台湾には昔のトロッコ線路がまだ残っているらしいんだ」、この短い言葉からすべては始まった。キーワードは「トロッコ」そして「台湾」。加えて「リーさん(注1)が撮ってくれるかも」とも――映画『春の雪』の現場でチーフ助監督を務めていた川口監督は、撮影の合間の‘軽いおしゃべり’で「台湾にトロッコ線路ある?」と聞いたらしい。リーさんも軽く「あるある、行くならまた俺に聞けよ」なんて感じで・・まだこの時点では約束とも言えないほどの細くつないだ希望。後日、周りからは「なぜ台湾?」「初監督作品で海外ロケって勇気あるな」等と言われたけれど、当初自分たちにはそれが‘特に大変’という意識は全く無く、只ただ、あの南国・台湾の濃い緑の山の中に伸びるトロッコ線路はさぞかし抒情的で美しかろうと、完全にビジュアル・イメージ先行で夢中になっていた。(注2)
(注1) 撮影監督のリー・ピンビン
(注2) まだこの時点では、芥川小説そのままの「大正時代」と「舞台(伊豆)」の物語を、「台湾でロケする」だけと考えていた。
2007年5月18日 シナハンの始まり。
紆余曲折ありつつも、監督の台湾シナハン決行に至ったのがこの時。二週間に渡り、台湾全土のトロッコ線路を地図片手に巡った。ちなみに川井郁子さんの「La Japonaise」(注3)をずっと聞きながら回っていたそう

(注3)2006年9月に発表された川井氏本人が「童謡」を選曲・アレンジして演奏収録されたアルバム
2007年6月20日 台本第1稿が上がる。
この稿は台湾で出会ったおじいさん、おばあさんたちから聞いた“激動の人生話”インパクトが強すぎて、トロッコに乗る少年の物語としては少しバランスの悪い状態

